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良寛と貞心尼出逢いの地

良寛は晩年島崎の木村家に身を寄せ、足掛け6年間地域の人々と穏やかな日々を送られました。自らを厳しく律し、決して名利に走らず修行をし続けてきた良寛が生涯で唯一気を許したといってもいい尼僧、貞心尼と出逢ったのがこの地、和島「島崎」です。

良寛が74歳で遷化するまで二人の交流が続き、数多くの相聞歌を残されています。貞心尼は良寛が亡くなった後、その相聞歌を歌集として書き残しています。その歌集は「蓮の露」として、現在まで二人の師弟愛の美しさが伝えられています。  平成3年4月に良寛の里をオープンした際に、ここを訪れる人たちに当時の良寛と貞心の清らかな師弟愛の一端を感じてもらいたいとの思いから、良寛と貞心が歌を詠み交わしながら歩 いたであろう、この木村家から良寛の里までの通りを「はちすば通り」と名づけました。  蓮の葉の上で揺れる朝露は一点の濁りもない清純なものです。この「はちすば通り」を歩くとその心が清らかになり、良寛と貞心の心を感じ取ることができると思います。

良寛がその晩年の地として選んだ島崎の人々は、往時と変わらないもてなしでこの通りを歩く方々をお迎えします。  またその当時から変わらない国上山の遠景と雄大な空が見守り、心地よい風が迎えてくれます。
 この通りには、良寛が晩年を過ごした木村家、木村家の菩提寺・隆泉寺、木村家の墓地にある良寛の墓碑と弟・由之の墓、子供らとかくれんぼをして遊んだ延喜式内社宇奈具志神社や、法弟・遍澄の墓碑のある古刹妙徳寺があり、心ゆくまで良寛と貞心の足跡に触れることができるでしょう。

西 暦 年 号 事 項
1758 宝暦8 1 出雲崎の名主兼神官、橘屋山本家に長男として生まれる。幼名栄蔵。
1765 明和2 8 天瀬(出雲崎町)光照寺蘭谷万秀の寺子屋で学ぶ。
1770 7 13 大森子陽塾に入門。
1775 安永4 18 子陽塾を辞め、曹洞宗光照寺住職玄乗破了のもとで剃髪し、禅を学ぶ。
1779 8 22 国仙に随行して備中(岡山)玉島(倉敷市)円通寺に赴く。
1790 寛政2 33 国仙から雲水修行終業の偈を受ける。
1796 8 39 郷本(寺泊町)の空庵に住む。
1797 9 40 国上(分水町)国上寺境内の五合庵に住む。
1798 10 41 貞心尼誕生、長岡藩士奥村家の二女で、幼名ますという。
1805 文化2 48 五合庵に定住する。
1807 4 50 中山(出雲崎町)の西照庵に住む。
1814 11 57 冬は乙子神社社務所(乙子庵)に住む。
貞心尼、医師の関長温と結婚し、小出町(魚沼市)に住む。(17歳)
1816 13 59 この冬より乙子庵定住。
1820 文政3 63 貞心尼離婚し、出家して柏崎閻王寺に住む(23歳)
1826 9 69 島崎の能登屋木村家邸内の庵に定住する。
1827 10 70 貞心尼福島(長岡市)の閻魔堂に移り、秋に対面を果たす。
1828 11 71 島崎隆泉寺の大蔵経由来記を書く。秋に貞心尼柏崎へ移る。
1831 天保2 74 正月6日遷化。正月8日葬式。
1835 6   貞心尼 良寛歌集『はちすの露』を書く。
1872 明治5   2月11日、柏崎で貞心尼逝去(75歳)