出逢う

出逢う

和島地域

和島は、新潟県長岡市の北西部、日本海にもほど近い田園と里山の地域です。現在は静かな農村の風景が広がっていますが、その歴史は古く、国史跡『八幡林官衙遺跡』をはじめ、古代から各時代の歴史が残されています。

江戸時代には、地域を流れる島崎川が新潟と柏崎を結ぶ物資輸送の水路として利用されました。島崎地区には船着場が置かれ、船問屋や船宿などが並ぶ、人や物が行き交う場所として栄えました。現在の穏やかな町並みの中にも、かつて多くの人が行き交った土地の記憶が残っています。

中世には、日蓮宗本山・村田妙法寺が北越布教の拠点となりました。そして江戸時代の終わりには、僧侶・歌人・書家として知られる良寛が島崎の木村家で晩年を過ごし、ここで貞心尼と出逢います。木村家から道の駅へ続く「はちすば通り」には、良寛の墓所がある隆泉寺や宇奈具志神社など、今もその足跡が点在しています。

古代の遺跡、中世から続く寺院、舟運によって栄えた町、良寛と貞心尼の物語。そして、それらを包む田畑と里山。和島には、一つの時代だけでは語れない歴史があります。

道の駅「良寛の里わしま」を入口に、少し地域へ足を延ばしてみてください。歴史を知り、里山を歩き、土地の食に触れ、ここに暮らす人と出逢うことで、「和島」という場所が少しずつ見えてきます。

良寛と和島

良寛(りょうかん、1758年11月2日 – 1831年2月18日)は、越後出雲崎に生まれ、各地での修行を経て故郷へ戻った僧侶・歌人・書家です。国上山の五合庵などで暮らしたのち、晩年は和島の島崎にある木村家に身を寄せました。良寛が暮らした木小屋は残っていませんが、現在はその場所に「良寛禅師庵室跡」の石碑が建てられています。

この木村家で、良寛は若い尼僧・貞心尼と出逢いました。ふたりは和歌を交わしながら交流を深め、良寛が亡くなるまで師弟として心を通わせました。そのやりとりは、のちに貞心尼によって歌集『蓮の露』にまとめられています。和島は、良寛の生涯の終わりの地であるとともに、良寛と貞心尼の物語が生まれた場所でもあります。

木村家から道の駅「良寛の里わしま」へと続く道は、現在「はちすば通り」と呼ばれています。沿道には、良寛と弟・由之の墓碑がある隆泉寺、良寛が子どもたちと遊んだと伝えられる宇奈具志神社、高弟・遍澄の墓碑がある妙徳寺などが点在し、歩きながら良寛の足跡をたどることができます。

なかでも隆泉寺は木村家の菩提寺であり、その墓地には良寛の墓が今も静かに残されています。良寛が暮らした場所、歩いた道、そして眠る場所が近い範囲に残されていることは、和島ならではの特徴です。毎年、地域の人々によって史跡の清掃や墓前法要も行われ、良寛を大切にする営みが現在まで受け継がれています。

道の駅に隣接する良寛の里美術館では、良寛と貞心尼の書や詩歌を中心に紹介しています。美術館ゾーンには、ふたりの出逢いと交流にちなんで設けられた「出逢いの庵」もあります。まず作品に触れ、それからはちすば通りを歩いてみるのもおすすめです。書や歌の向こうにあった暮らしの場所を実際に巡ることで、良寛という人をより身近に感じていただけます。

文化と歴史

和島には、古代から近代まで、この土地を行き交った人々の歴史が重なっています。国史跡「八幡林官衙遺跡」周辺には、奈良・平安時代の古志郡の役所「古志郡衙」があったと考えられています。1990年の発掘調査で出土した「沼垂城」木簡は、『日本書紀』に記された古代の城柵・渟足柵(ぬたりのき)の実在を裏づける重要な発見となりました。旧島崎川や北陸道を通じて、越後国府や沼垂城、さらに寺泊から海を渡った佐渡とも結ばれ、古代から交通と行政の重要な結節点でした。

中世の歴史を伝える代表的な場所が、村田地区の日蓮宗本山・村田妙法寺です。日蓮の高弟・日昭が鎌倉時代末期に建立し、北越布教の中心地となりました。杉木立の中には朱塗りの二天門と茅葺きの四脚門が残り、寺の背後には村岡城址があります。

江戸時代になると、島崎川は新潟と柏崎を結ぶ物資輸送の水路として使われ、島崎地区には船着場が置かれました。船問屋や船宿が並び、人や物が行き交う町として発展します。幕末には良寛が島崎の木村家で晩年を過ごし、さらに北越戊辰戦争では和島地域も戦いの舞台となりました。長岡市では、この地域での戦いをまとめた『北越戊辰戦争と和島』も編纂されています。

近代には、小島谷の久須美秀三郎・東馬父子が越後鉄道の敷設に尽力しました。越後鉄道は現在のJR越後線へとつながり、1913年には全線が開通。父子の旧邸宅と庭園は現在も「住雲園」として残り、樹間から弥彦山を望むことができます。

古代の役所、中世の寺院と城、川を行き交った舟、良寛の晩年、そして鉄道を切り拓いた人々。和島の穏やかな風景の中には、時代ごとに異なる営みの跡が今も残されています。史跡や寺院、庭園を巡りながら、この土地に積み重なった時間をゆっくりたどってみてください。

自然と里山

和島には、田畑を囲むなだらかな里山と、その先に広がる日本海があります。春の新緑、夏の青々とした田んぼ、秋の実り、雪に包まれる冬。同じ場所でも季節によって風景は大きく変わり、山と田畑、人の暮らしが近い距離でつながっています。

地域に多く見られる竹林も、和島の里山を形づくる風景のひとつです。一方で、手入れされなくなった竹林は里山の環境を変えてしまいます。和島では竹を伐り、竹遊びやものづくりに生かす活動も行われています。自然から恵みを受け取ることが、その風景を次の世代へ残していくことにもつながっています。

少し西へ向かえば、日本海はすぐそこです。高台にある和島オートキャンプ場からは日本海を一望でき、天候に恵まれれば海の向こうに佐渡を望むこともできます。水平線へゆっくりと沈んでいく夕陽は、海と里山の両方を持つ和島ならではの風景です。

里山の中には、自然と地域の暮らしを楽しめる場所も生まれています。105年の歴史を持つ旧島田小学校を活用した和島トゥー・ル・モンドでは、木造校舎を受け継ぎながらレストランやパン工房などが営まれています。その近くにはブルーベリー観光農園ラビットファームもあり、夏には和島で育ったブルーベリーの摘み取りを楽しむことができます。

里山を歩き、竹に触れ、土地で育ったものを味わい、最後は日本海へ沈む夕陽を見る。和島の自然は、ただ眺めるだけのものではなく、ここに暮らす人々の営みとともにあります。道の駅を起点に少し足を延ばして、山から海へとつながる和島の風景をゆっくり巡ってみてください。

人と暮らし

和島には、田畑を耕し、庭を手入れし、季節の移ろいを身近に感じながら暮らす人々がいます。里山や田園は、ただ眺めるための風景ではありません。日々、人の手が入り、受け継がれてきた暮らしそのものが、この土地の景色をつくっています。

地域の行事や文化活動、農業、史跡の手入れなど、人が集まり力を合わせる場も今なお残っています。一方で、新しい人や活動も少しずつ加わり、観光農園や地域資源の活用、情報発信など、これからの和島をつくる取り組みも始まっています。

「和島」という穏やかな響きにも重なるように、ここでは人と人とのつながりが暮らしの中にあります。訪れた人も、田園を歩き、土地のものを味わい、地域の人と同じ風景を眺めるうちに、少しだけその輪の中にいるような気持ちになるかもしれません。

歴史や名所を巡るだけではなく、そこで続いている日々の営みに目を向けてみる。それもまた、和島を知る一つの旅です。この土地を訪れたあと、少しおおらかで、やさしい気持ちになって帰っていただけたらと思います。